仙台高等裁判所 昭和30年(ラ)45号 決定 1955年12月27日
抗告人 伊藤彦市
相手方 伊藤タカ
主文
本件抗告を却下する。
理由
本件抗告理由は末尾添附別紙記載のとおりである。
記録に徴すると、申立人は青森家庭裁判所昭和二十八年家(イ)第二〇号申立人伊藤彦市、相手方伊藤タカほか四名間の遺産分割調停事件の昭和二十九年七月十七日の調停期日に成立した調停条項について再調停を申立てたところ昭和三十年七月十四日右再調停をしない旨の原決定が為されたことは明らかである。
元来家庭裁判所の審判に対する不服申立の方法としては最高裁判所の定めるところにより即時抗告を為し得ることは家事審判法第十四条の明らかに定めるところである。而して家事審判法にいわゆる審判とは調停手続において為される裁判をも指称するのであつて、調停手続における裁判は審判と異り家事審判法第十四条の適用から除外され一般的な抗告の対象となり得ると解することはできない。即ち抗告人の本件調停申立を却下した裁判は家事審判規則によつてこれに対し即時抗告の許される場合に当らないから結局抗告人にはなんらの不服申立方法も残されていないのである。
従つて抗告人の本件抗告はもとより不適法で許されないものと云わなければならない。
よつて主文のとおり決定する。
(裁判官 板垣市太郎 檀崎喜作 沼尻芳孝)
抗告の理由
本件再調停申立の事情は原裁判所に提出した第一乃至第四の再調停事情申立書の通であるが之を要約すれば
一、先きの昭和二十八年家(イ)第二〇号申立人伊藤彦市(本件抗告人)相手方伊藤タカ外四名間の青森家庭裁判所野辺地出張所遺産分割調停事件に付調停成立した昭和二十九年七月十七日の調停期日に於て申立人伊藤彦市及同代理人にして其実母なる福田タネは同裁判所に出頭し本日弁護士遠藤周蔵を代理人として出頭せしめんとしたが同弁護士差支にて出頭し兼ねるとの通報あるに付期日変更ありたき旨申出でた処、家事審判官は之を一蹴して調停を進め申立人の不本意なる調停が成立したのである、
仍て申立人及其実母は特に家事審判官に面接して不満を愬えて約二時間余陳情したのである、結局右調停は其成立の日から申立人等は不満なのである、
尚申立人より電報、申立人の実母より葉書にて同日当弁護士に対し代理人として出頭してくれと申来りしも仙台の事件の為出頭し兼ねるから次回の都合よき日を指定してやつたことは第四回調停事情申立書記載の通りである、
二、本件は遺産分割の調停事件であるから家事審判官及調停委員に於て相続財産の適正なる価格を了知することは最も肝要なことである、然るに之を調査検討した形跡は毫もない、漫然或る程度の金額を基準として当事者双方を説得して成立せしめたもので余りにも理不尽な仕方である、当時相手方伊藤信四郎より差出された財産目録によればその価格は金一千百五十六万円余となつて居り其他に其の価格を認むべき何等の資料がないのに拘らず申立人に金二百五十万円を支払うことにしたのは何を根拠としたのか了解に苦むものである、即ち申立人の有する相続分は本来二十七分の二であるが福平に於て其の財産の大部分を伊藤タカ等に遺贈したため結局申立人の相続分は遺留分減殺の規定により二十七分の一強となつた故其相続財産は約六千七百五十万円なければ左様な分割の調停成立するのは不合理である、恐らく相手方たりし伊藤信四郎に於て財産目録には極めて少額を計上したるも其実財産総額は右六千七百五十万円以上のものあるが為其調停を認めたものと思われる、而して右調停成立後申立人の方に於て調査した所に因れば右価格は少くも一億円以上あることが略判つたのであるが現在更に正確に調査中である、若し当時その価格が一億円以上であることが判つて居たとすれば申立人に於て金二百五十万円にては到底調停を成立せしめる筈がないのであるから此の点に於て錯誤による無効の問題が起るのである、
尚右相続財産中用悪水路及井溝は相当価格あるものを伊藤信四郎は何等価値なきものの如く申居りし為申立人は之を信じて居たのである、又福平には野辺地町以外に相当の不動産が其後に判り之も調査中である、
三、以上の事情から抗告人が再調停申立をして其相続財産の価格の鑑定を極力申立てた処、本件は調停しないと云う決定を見たのである、
右の如き事情あるときは裁判所に於て宜しく鑑定を採用して其の結果を見て調停の成否を見定めるも未だ遅しとは云い得ないのである、然るに裁判所は中途に於て本件の再調停申立は徒らに事を構えて紛争を繁くするもので調停制度の精神に添わず濫りに申立をしたものと認めて居るが如きは却つて調停の趣旨を没却した不当なる決定と思うのである、
仍て抗告の趣旨記載の如き裁判を求める為本申立を為す次第である。